21日間ブログチャレンジ

書くことは、思考の地図をつくること。

昨日まで、ブログを3日間続けて書いた。

その中で、文章を書くということは、点をつなぎあわせてひとつの絵をつくる作業のようだと感じた。

人は毎日、様々なことを考える。占いとの距離の取り方について。現実と虚構との境界について。生命の集合体である自己について。いろいろな考えが入れ替わり立ち替わり浮かび、お風呂に浸かっている間に不意に何かがつながったような気になっても、「ああ、そろそろシャンプー買わないと」なんて雑念に紛れて消える。

そんなバラバラの思考をひとつひとつ訪ね歩いて、その間に道をつくり、地図に起こしていく。漠然と「こっちに向かったら、このアイディアとこのアイディアを拾って効率的にまわれそうだ」と歩き始めても、まったく違うところにたどりついてしまう。この3日間、日々考えていることを土台に文章を組み立てながら、そんな体験をしていた。

最近読んだ本に、「言語化する力はサヌキ」と書かれていた。

にほんごってすごい! はじめてのカタカムナ: 超古代文字が教えてくれるサヌキ【男】アワ【女】しあわせの智恵(板垣昭子著)

サヌキとは、カタカムナにおいて男性性を意味する。カタカムナとは、今から1万年以上前に日本で使われていたとされる古代文字だ。

カタカムナでは女性性のことを、アワという。アワは、現代の「泡」に通じる。石鹸の泡は汚れを包みこみ、ビールの泡は口当たりをなめらかにする。実体があるようでふわふわととらえどころがない。それがアワの性質だ。

それに比べて、サヌキには方向性がある。「差を抜く」「さっと抜きん出る」がサヌキのイメージだ。「さっさとする」という言葉にあるように、「サ」という音には動きがある。周囲と比較して勝つこと、何かを形にすること、達成することがサヌキの性質といえる。

改めて形になっていないものを文章にまとめようとすると、たしかに言語化はサヌキだと納得した。点と点をつなぎあわせて意味を持たせるというのは、方向性をつくることだ。その一方で、つなぎ合わせられない点は、形にならず漏れてしまう。アワならきっと包みこめるのだろうその点を捨てて、先に進む。何かを選ぶことで何かを捨てることも、サヌキの力なのではないかと思った。

中には、アワに溢れた文章を書く人もいる。詩や散文のような、とりとめなく自由な言葉たちはきらきらと美しくて、まるで踊っているようだと思う。

素敵だな…とそれを横目で見ながらも、方向性を組み立てることから逃れられなくて、取りこぼした思考のかけらを「何かに使えないか」とポケットにしまい込んだまま、次の目的地に向かって歩いている。