「目に見えるものは、知覚が生み出した迷信である」という話を、オーディオブックで聞いている。(あまりに面白かったので、途中までしか進んでないけど書いちゃう。)
「宇宙のパワーと自由にアクセスする方法」(ディーパック・チョプラ著)
インド哲学の一派であるヴェーダンタ派によると、人が苦しむ理由は5つしかないという。
- 自分が誰なのかを知らない
- 自分を自我またはセルフイメージで認知している
- 一過性のものや実在しないものにしがみつく
- 一過性のものや実在しないものを恐れる
- 死に対する恐れ
特に①の「自分が誰なのかを知らない」ことこそが、すべての苦しみのもとなのだそうだ。
いったいあなたは誰なのだろうか?
日常の中で「あなたは誰ですか?」と聞かれたとき、おそらくあなたはまず名を名乗る。そして職業や肩書きを続ける。もしくは、趣味について話すかもしれない。
しかし、それは本当にあなたなのか。著者によると、それらは②に出てくるセルフイメージで、あなた自身ではない。いってみれば、服のように身にまとうものであって、本体ではないという。
それでは、あなたとは身体なのだろうか。
身体はタンパク質や水など、ありふれたものでできている。あなたと他の生体は何が違うのか。なぜあなたの身体はあなたのもので、道端の花はあなたではないのか。あなたの身体にはあなたの意識が宿っていて、花はあなたの意識の外にあるからだろうか?
しかし、意識はいったいどこにあるのか。人の意識は脳(もしくは胸や腹)にあると思われがちだが、厳密に意識の中心がどこにあるのかはまだわかっていない。そもそも意識とはなんなのか。その意識が生み出す感覚は、信頼に足るものなのか。
たとえば、「地球は丸い」「地球は時速1700キロで回転している」など、知識として知っていても、感覚として認識できない事象がある。大地は平らに見えるし、空気も大地も止まっているように感じる。(むしろ、そうでなければ日常生活を送るのは困難だろう。)
今目の前にあるパソコンは、目で見ても手で触っても、固くて安定感のある物質だ。しかし、量子レベルでは実際のところ隙間だらけで、安定どころか常に振動している。人の意識は、量子レベルの揺れを認識できない。パソコンは現実に固いのではなく、人の意識が固いと認識しているだけなのだ。
同じように、人の目には認識できない色の光があるし、人の耳では聞き取れない音もある。この世界の本当の姿は、(もしそんなものがあるとしたら)今目に見えて感じとれる世界とは違う。つまり、意識することができる物質世界はただのまぼろしなのだと著者はいう。
さて、ここで話を戻す。
あなたは誰なのか。そして、あなたがあなた自身だと思っている存在は、本当にあなたなのか。
それこそが、すべての苦しみのもとになる根源の問いだとヴェーダンタはいう。
しかし、なんというか、これはもう必然としかいいようがないんじゃないかと思うのだけれど、この問いの答えにつながる(のではないかと思われる)話を今ちょうど萩で聞いてきた。そして、今度国東でもその話を聞く機会をつくりたいとちょうど思っているところなのです。
【と、ここで唐突にイベントの宣伝をします】
4月25〜26日に、イミテラス(大分県国東市伊美/予定)にて、「自己とは何か」「人間とは何か」「生命とは何か」をつまみに語り合う会を開催します。
まだ本質がよくわかっていないので「この会ではこういう話をします」とか「この話を聞くと、こんないいことがあります」とか、そういう伝わりやすいことがまったく言えない。ただ、なんだかわからないけれど、とっても大事なことなんじゃないかと思って、各地で開催している会に足を運んで話を聞かせてもらっている。何度聞いても、わかったのかわからないのかわからない。(そして、それはたぶんわかっていない。)それでも、聞くたびにいつも新しい発見がある。
詳細は改めてご案内するので、興味ある方は4月25〜26日空けといてください!
【2020年4月8日追記】コロナウィルスの影響で、イベントは中止になりました。