66日間ブログチャレンジ

もう一度その手に触れることができますよう。

先月末。施設に入居している祖母が吐血して救急搬送されたと、新潟に住む妹から連絡があった。

これまで大きな病気を患ったことがなく、入院もしたことがなかったとはいえ、もう97歳。いつかはこういう日が来ると、ずっと覚悟はしていた。検査に時間がかかりそうだからまた連絡する、といわれた。

祖母の記憶をたどると、手の感触が蘇ってきた。

祖母とは、物心がついたころからずっと一緒に暮らしていた。小さい頃は母が忙しく、幼い頃は祖母に育ててもらったようなものだった。幼稚園へ、習いごとへ、祖母と手をつなぎながら歩いて通った。

学校を卒業して、社会人になってからも、祖母はふいに手にふれてくることがあった。祖母の手はいつもあたたかかった。こちらは冷え性なものだから「あらー、冷たい手だねえ」と両手で包み込むようにあたためてくれた。面倒だなあと思いながら「ありがとう」とこたえて、しばらくそのまま手を握る。がっしりと力強く、大きな手。

数時間後「いろいろ検討してくださったけれど、年齢的にももう見守るしかないって。2、3日が山場らしい」と妹から連絡がきた。そして「(県外在住だから)新潟に帰ってきても面会できるかわからない。もうこういう状態だからってことで今確認してくれているけれど、難しいかもしれない」と言われた。

ああ、そうか。今はそういう状況なんだ。祖母が入居している施設に面会に行けないことも病院が大変であろうことも知っていたけれど、本当は全然わかっていなかった。もうこのまま二度と会えないかもしれないんだ。

その日は関東からのゲストを数日アテンドする予定のちょうど初日だったから、とりあえずみんなに相談した。祖母が今こういう状態で、今のところはとりあえず帰ってもどうしようもないからいいんだけれど、もし亡くなった場合には葬式があるから新潟に帰らなければいけない。そう伝えると「いつもそうやって強がってきたんだね」とやさしい音が返ってきた。肩肘張ってるつもりはまったくなかったけれど、その言葉が刺さった。

そういえば、母が亡くなったときも、泣くことができるようになったのは半年経ってからだった。当時は悲しいという気持ちがまったく感じられなくて、それよりもきちんと看取れたことと、母が苦しみから解放されたことにほっとした。母のことは大好きだったはずなのに、随分冷たいんだなあと自分に驚いた。

彼女は続けて「本当は、直接会えないとしてもなるべく近くにいたいんじゃないの?」と言った。そんなことは考えたこともなかった。新潟に帰ったところで何もできない。いつまで新潟にいればいいのかもわからないから、その後の予定も立てられない。それよりも、今ここにはすべきことがある。とすれば、帰る理由は何ひとつないと思っていた。でも、そうじゃなかった。新潟に帰りたいなと思った。

とりあえず、翌日の航空券を予約した。ゲストの送迎を他の人に頼んで、しばらく猫を預かってくれるようご近所の友人に頼んだ。急なことであちこちに迷惑をかけてしまうなあと思ったけれど、みんなやさしかった。「だいじょうぶだよ」「いってらっしゃい」と声をかけてくれた。うれしかった。

その後、妹からは「やはり面会はできない」と連絡があった。そのかわりにLINEでオンライン面会をさせてもらった。まだ導入検討中の段階だったそうだから、きっとどなたかが融通してくれたのだと思うと感謝しかなかった。妹も病室には入れないので、妹のタブレットを看護師さんが預かり祖母とつないでくれる。管をつけて寝ている祖母に、画面越しに声をかけた。返事はない。聞こえているのかもわからない。顔を見られたのはよかったけれど、ほっとしたのも束の間「ああ、会えないんだ…」とだんだん苦しくなってきて、早々に「もういいです」と切り上げてしまった。

妹に「明日帰ろうと思う」と伝えると「帰ってきても誰にも会えないよ」と言う。え、なにそれ?どういうこと?? 話を聞くと、現在闘病中で普段施設に入居している父にはもちろん会えないし、病院の付き添いをする必要のある妹にも会えない。だから家にも帰れないし、妹に会えないってことは万が一の場合でも葬儀に出ることすらかなわなくて、なんかもうどうにもならないということがわかった。微かな希望にかけて、新潟県内で2週間自主隔離をすることは可能だけれども、何が起きるかわからない2週間をひとりぽつんと乗り越える自信がなくて、結局帰省を諦めた。

新潟に帰るのをやめました…とあちこちに連絡をする。だって、仕方がない。免疫力が落ちている人が集まる病院という環境で、最大限の対策をとるのは当然のことだし、個別対応をしていたらきりがない。現場で働いている人たちの負担をこれ以上増やすわけにはいかない。それはわかる。わかるけれども。

やりきれない気持ちでいたら「そういうことなら明日は当初の予定通りおいでよ。一緒に過ごそう」と言ってもらって、一気にゆるんだ。おもしろいほどに涙が出て、声をあげて泣いた。泣きながら、悲しいっていう感情は自分が安心できていないと出てこられないんだなと考えていた。

自分がなんとかしなければいけないと思っているときは、悲しみに暮れている余裕がないから、感情に蓋をしてしまう。「いつもそうやって強がってきたんだね」という言葉を思い出す。ああ、そうか。今までもずっとそうしてやり過ごしてきたのかもしれない。

全部を信頼してまかせられる人たちにめぐまれて、自分のそういう部分を見透かしてくれる人がいて、祖母が倒れたのがこのタイミングでよかったのかもしれないなあと思ったら、めちゃくちゃ泣いているはずなのになんだかあたたかくなった。その夜は祖母や母との記憶を思い出しては泣いて、翌朝鏡を見ると今まで見たことないほど瞼が腫れ上がっていてつい笑ってしまった。悲しむこと、悲しみを味わうことって大事だなあと思った。

その後もいろいろあって、もう二度と会えないかもしれないと何度か覚悟すること3週間。祖母は奇跡的に回復した挙句、危なげなく療養食を食べられるようになったため、来週には退院することができる見込みだそうです。

とはいえ、祖母は普段施設にいるから、なかなか会うことがかなわない。もしかするとやっぱりもう二度と会えないのかもしれない。この時代に離れて暮らすというのはそういうことなんだと改めて考える。

施設に入居してから、祖母の手は冷たくなった。ひんやりと痩せた手。新潟に帰って面会に行くときは、かつてしてもらったように、その手を両手に包んであたためた。あたたかかった祖母の手と、冷たい祖母の手を思い出す。

日々の生活の中で母や父の手に触れた記憶はあまりないのだけれど、入院中にはその手を握った。何を言わなくても伝わるものがたくさんあった。けれど、今はそれがかなわない。入院されている方、その家族の方の心痛を思う。

祈りには効果があるとした実験結果がある。

もうひとつは、ミズーリ州の病院での実験です。1000人の患者を2つのグループに分けて、一方のグループだけに他の人から祈りを送ってもらいました。すると、祈ってもらったグループの人たちのほうが、10パーセントも回復が早かったという結果が出たそうです。

祈りが及ぼす患者の回復への影響がアメリカの大学や病院で実験されています(DIAMOND ONLINE)

効果がないという結論に行き着いた実験もあると思うのだけれど、それでも祈りには力が「あるかもしれない」と思う。だから、せめて祈る。みんなの大事な人が心細くありませんよう。物理的に離れていても、お互いその存在を近くに感じられますよう。