21日間ブログチャレンジ

世界がすべて名であるとしたら。

昨日は、ずっと心の中にあった「本当の世界が山だとしたら、普段認識できている世界は湖面に映った山なのではないか」というイメージについて、言葉でまとめてみた。心の中にあるうちは、なんだかもやもやとしたままかたちになっていなかった思考が、言葉を通すことで整然とする。しかし、全部出し切った!という満足感に包まれて寝ようとしたところで、新たなイメージが浮かんでしまったのでちょっと聞いてほしい。

世界がもしひとつの山だったら。 4年前、アメリカ・カリフォルニア州のマウントシャスタに1か月滞在する機会があった。それまでシャスタの名前も知らなかったのに、とんとん拍...

その前にまず、カタカムナの話をしたい。

「カタカムナ」という言葉をはじめて聞いたのは、6年ほど前のこと。日本の歴史や古事記に興味のある友人が教えてくれた。日本で超古代に使われていたとされるカタカムナ文字は、円と線からできていて、現在のように上から下・左から右ではなく、中央から渦を描くように記述する。

カタカムナには48音あり、ひとつひとつの音に固有の意味がある。そして、その意味はそのまま現代の日本語にも引き継がれているという。たとえば、「カミ」という音にはいろいろな意味がある。「神」「上」「髪」「紙」などだ。

音の意味を見ると、「カ」は「ちから」、「ミ」は「実体」という意味があり、あわせると「ちからの実体」となる。「神」は世界を創造するほどの力の主だし、川は「上」から下に流れ、権力も「上」から下々の者へと伝わる。人を呪うときに「髪」を使う文化(?)は世界中にあり、「紙」もかつては貴重で大切なことが記されていた。どの「カミ」も、本質で見ると「ちからの実体」である、というのである。

そのときに聞いたカタカムナの話は難解であまりよく覚えていないのだが、彼女はこんな図を書いてくれた。この世界は、見える世界である「カタ」と見えない世界である「カム」によって成り立っている。カタとカムはともに渦を巻いていて、雑巾をきつく絞ったときのような、ぎゅーっと力の凝縮した中心点が「ナ」である、という図だった(はず)。

「カタ」と「カム」はなんとなくわかった。でも「ナ」って何なんだ。それがよくわからなくて、この話のことはすっかり意識から抜け落ちていた。

それが、昨日のブログ記事を書いた後、6年のときを経て不意によみがえった。もしかして、こういうことだったんじゃないか。

もやもやとしたままかたちにならない思考は、言葉を通すことで整然とする。たとえ書かなくても、人は話すときも考えるときも必ず言葉を使う。言葉を使うというのは、「名」を使うことだ。言葉を通すことで整然とした思考は、必ず本質の一部を取りこぼす。

書くことは、思考の地図をつくること。 昨日まで、ブログを3日間続けて書いた。 占い師としてのあり方を考えた。虚構のたまねぎ。人と宇宙の相似象 その中で、文章を書...

名前をつけることで、存在が確定する。たとえば人体の構造や学問の分野、歴史における時代の区切り、そして病気。ASDやADHDは近年まで性格であるとされていたし、一見健康で何の症状もなくても新型コロナウィルスに感染していれば「新型コロナウィルス感染症」という病気になる。

名をつけるというのは一見世界を広げることのようで、本質の一部を切り取ることなのではないか。しかし、人は本質を本質のまま理解することができず、名を通してしか世界を見ることができないのではないだろうか。

とりあえずここまで思っていることを綴ってみたけれど、今日はもやもやがまだ晴れない。名については未だ検証中です。