66日間ブログチャレンジ

見ようとすると、見えない。

三方を山に囲まれた、海のある集落に住んでいる。夜になると、山も海も暗い。集落内にある外灯はひとつが切れたままで、今はふたつだ。それと、すぐ隣の岬に立つ灯台の光。それ以外はほぼ闇になる。

満月が近づいてくると、家の中にいてもわかる。夜の明るさがまったく違う。昔、満月の光を朝陽と間違えて扉を開けてしまう怪談を読んで「いや、それはないだろう」と思った記憶があるのだけれど「すみません満月舐めてました」と土下座する勢いで明るい。

一方で、新月が近づくと星がよく見える。時間によっては、肉眼で天の川が見える。穏やかな波の音を聞きながら、玄関の外で星を眺める。

ある時、不思議なことに気がついた。

「あの星を見よう」と焦点をあわせたときに、その星が消えることがある。はっきりと明るい星は消えない。暗い星だけだ。一度焦点を外すと、視界の端にぽつんと光が戻る。そこに絶対光があるのがわかる。けれど、その光をよく見ようと意識して目を凝らすと、やはり暗闇しかない。

人の網膜の中央には、色と強い光を感知する細胞が集まっているため、弱い光は認識できないのだそうだ。逆に、周辺の細胞は弱い光を見ることができるが、色は見分けられない。(だから、視界全体がフルカラーに見えているのは実は脳が組み立てた景色なんだそうです。ふしぎ。)

それはなんだか、人の意識にも似ている気がした。

何かを「知りたい」とか「手に入れたい」とか強く意識すると、どうしても思考がはたらく。思考はついつい過去の経験や一般常識をベースにしがちで、知識の枠の中でしか判断できない。そのために見えなくなるものがあるのではないか。

たとえば、移住。移住相談会に行ったりすると、移住後の仕事について不安を覚える人は多いし、それはもちろん当然のことだと思う。けれどその一方で、いろいろなご縁やタイミングのおかげで、何とかなっている現状がある。もし先にたくさん考えて心配をしていたら、たぶん今の暮らしはない。

知りたいと思う理由のひとつには、不安がある。わからないという状態は不安定だから、確証がほしいのだ。「ある」と信じるための根拠がほしいのだ。

見よう見ようと躍起になるほど見えなくなって、ただそこにあることをぼんやりと感じようとすれば間違いなくそこにある。結局、根拠なんてあってもなくても、信じるのは自分の意志ひとつでしかない。

それでも、もう少しはっきり見たいと思っちゃうんだよね、と見えない星を見つめながら思う。