66日間ブログチャレンジ

終末は、はじまりを育む。

カタカムナを知って以来、同音異義語が気になっている。

世界がすべて名であるとしたら。 昨日は、ずっと心の中にあった「本当の世界が山だとしたら、普段認識できている世界は湖面に映った山なのではないか」というイメージについて、...

カタカムナの世界では、一音一音に固有の意味があり、同じ音を持つ言葉は同じ本質を持っているとされている。

日頃思いついたことや引っかかったことを記録しているアプリには「かず、数、和」「縁 円」「演芸と園芸」など、謎の同音異義語がメモしてある。(数は調和であり、円と縁はある一点からほぼ等距離にある存在の集合で、演芸と園芸はともに育つのを眺めて楽しむものかなとぼんやり思っています。)

そして、今日気になったのは「週末」と「終末」だ。

世紀末だった1999年よりもよっぽど終末感あふれる昨今だが、「あれ、これはもしや週末なのでは!」とふと思った。

「週末」というのは1週間の終わりであり、翌日から新しい週がはじまることになっている。日曜日の夕方放送していたちびまる子ちゃんとサザエさんを見ると、月曜日の気配をひしひしと感じて心がざわついてしまい、どうしても苦手だった。

「終末」というと、「終」と「末」の組み合わせによる相乗効果か、終わり感が半端ないが、もしかしたらこれは終わりの先のはじまりを予感させる言葉なのではないだろうか。

中国で生まれた「太極図」では、陽が極まると内に陰が生まれ、陰が極まると内に陽が生まれる。タロットでも、大アルカナの21番目にあたる「世界」のカードは、物語の完成を意味するとともに、その状態が長くは続かないことも表す。西洋でも東洋でも、すべてのものは変化し続けると考えられてきた。

カタカムナを言霊として研究している吉野信子先生の思念表を使って「しゅうまつ」を読んでみると、「示しが(シ)湧き出て(ユ)生まれ出たものを(ウ)受容した(マ)集まり(ツ)」となる。

どうしよう、全然わからない。(使い方が下手なだけで、思念表は本当は非常に面白いものだということを声を大にしてお伝えします。)

カタカムナ 言霊の超法則(吉野信子著)

改めて、ひとつひとつの音と向き合ってみると、こんなイメージになった。

  • シ:「白」「塩」「死」「静か」「式」など、どこかしゃんとした(しゃんも「シ」からはじまる)イメージ
  • ユ:「湯」「夢」「幽」「揺らぐ」など、ゆらゆらと拡がっていくイメージ
  • ウ:「上」「海」「内」「生む」「植える」など、壮大かつ生命が生まれてくるイメージ
  • マ:「間」「魔」「真」「誠」など、見えないけれど大切なものがあるようなイメージ(「魔」は大事ではないかもしれないけれど、「間」に忍び込んでくるのが「魔」みたいな。)
  • ツ:「積む」「詰める」「集う」「包む」など、ぎゅっと集まるイメージ

それまでぴんと張り詰めていた状態(シ)が、揺らいで(ユ)、新しいものが生まれ(ウ)、間(マ)を、ぎゅっと満たす(ツ)。

書きながら、なんとなく昆虫の変態に似ているな、と思った。それまでのかたちが繭の中で分解され、新しいかたちになって繭を満たし、やがて羽化する。蝶として生まれた瞬間が「はじまり」だが、「終わり」のときにはすでに内側で変化が起こっている。

終末とは、やがて来るものだとおもっていたけれど、今こそが終末なのではないだろうか。

なるべく外出を控え、人と会うことを控える。それだけなのに、これまでの日常が一変してしまった。一時的なものであればいいが、もしこのまま収束の目処がつかなければ、社会は変容せざるを得ず、やがて新たな価値観が生まれる。

はじまりは終わりの先にあるのではなく、終わりのうちに生まれるのだ。

ニュースをみていると、これから解雇や倒産が増えて、病気だけではなく社会的にも苦しみが蔓延していく未来が忍び寄りつつあるのを感じてしまう。けれど、「失う」の「ウ」は「生まれる」の「ウ」だ。綺麗ごとかもしれないけれど、「終わり」の中に芽吹く「はじまり」の気配に目を向けていたいと思う。