21日間ブログチャレンジ

虚構のたまねぎ。

最近読んだ本に、「ホモ・サピエンスは、共通の虚構を信じることによって繁栄した」という説が紹介されていた。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福 (ユヴァル・ノア・ハラリ著)

それぞれがある程度緊密な関係性を結びながら維持できるコミュニティのサイズは、せいぜい150人程度だという。動物でも、100体を超える群れを維持し続けるのは難しいようで、ある程度群れが大きくなってくると統制がとれなくなり、群れは分裂する。人の集団もおそらく、先史時代はそうだったのだろう。

そこで、大事になるのが虚構だ。

ここでいう虚構とは、目で見たり触れたりすることができず、お互いの想像の中でしか存在し得ないもののこと。本の中では、国や会社、宗教、法律、貨幣などが紹介されている。(貨幣はお札や硬貨という物質も存在するけれど、その価値については信用で成り立っている。)

たとえば、外国を旅行中にばったり日本人に出会ったとき、初対面であってもすぐに打ち解けて親しくなることがある。「日本」という共通項により、同じ文化的背景や言語を共有しているということがお互いにわかり、親しみを感じることができる。直接知らない者同士が、虚構を軸に結びつく。それが虚構の力だ。

改めて周りを振り返ると、たくさんの虚構に囲まれていることに気づく。

国が虚構なら、それを構成する自治体も虚構だろう。現在国東市に居住している我が家の猫たちは、ひとりは豊後高田市出身、もうひとりは杵築市の出身だが、そんなことを本人たちは知る由もない。(そしてきっと、どうでもいいと思っている。)

歴史はどうだろうか。「ビッグバンによって宇宙ができた」「人間は猿から進化した」など、日本では比較的信じられているが、神による世界の創造を信じる人は決して少なくない。また、日本の歴史に限っても、様々な伝説を持ちかつてはお札にも描かれていた聖徳太子は「いなかったかもしれない」と言われ、「イイクニ作ろう鎌倉幕府」ももはや幻になってしまった。つまり、虚構だといえる。

現在も存在している(はずの)宇宙はどうだろう。太陽を中心に構成されている太陽系は、銀河のほんの外れにあって、銀河全体は今も膨張を続けているとされている。しかし、それを見た人はまだいないのだ。

今は、地球の裏側のことも映像で目にすることができる。視覚の影響力は強い。「見たから本当だ」と思いがちだが、本当にそうなのだろうか。たとえば、テレビ番組ではヤラセや誤報が問題になることもある。その映像は、現実なのか。それとも現実だと信じているだけなのか。

そうして、身の回りにあるものをひとつひとつ改めて見直していくと、本当に身近なものだけが残る。それがいわゆる「今ここ」の範囲なのかもしれない。

それでは、今話題のウィルスはどうだろう。ウィルスは目で見ることも、触れることもできない。現時点では検査の精度も低く、感染していても見つからないことがある。さて、これは現実なのか。それとも虚構なのか。

ウィルスよりも、むしろ「よく寝てよく食べて、手洗いうがいをこまめにして、日々生き生きと楽しく暮らすことは、健康を保つのに有効」であるということのほうが、たしかな温度を持った現実なのではないだろうか。