21日間ブログチャレンジ

貨幣と文字について考えた。

お金と文字って、似てるんじゃないかなあと考えることがある。

貨幣とは、商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。

貨幣(Wikipedia)

貨幣というのは、ある商品の価値がどれくらいなのかを表すことができて、商品と交換することで交易を円滑に行うことができ、保存ができるものなのだそうだ。

一方、文字はある言葉の意味や発音を書き表すことができて、写したり印刷したりすることで広く人々の目に触れることを可能にし、保存も効く。ほら、なんとなく似てるような気がしてきませんか。

以前読んだ本で、「この世に存在するものはすべて腐り土に帰るのに、お金だけは腐らないのはなぜなのか」という問いを目にして、はじめてお金について疑問を持った。

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」(渡邉格著)

腐らないというのは、いつまでもいつまでも保存しておくことが可能であるということだ。現代では、銀行に預けておけばもはや「お金」という状態で残しておく必要すらない。通帳の中に、数字としていくらでも貯めることができる。まるで四次元ポケットのようだ。

文字はどうだろう。

文字の歴史は古い。紀元前3500年頃にはシュメール人が文字を使っていた。人々は、王の名前やその政治について記録したり、取引した羊の数を記録したり、民族に伝わる神話を残したりした。

一方で、世界三大宗教において、イエス・キリストは聖書を書かなかったし、ムハンマドもコーランを書かなかった。お釈迦様にいたっては、その教えを文字に記すことを許さず、口伝で残したという。そういえば、竹内睦泰氏も幼い頃から竹内文書を暗記させられたと話していた。

竹内文書日本史「超」アンダーグラウンド1 古史古伝に込められた秘儀、秘伝、神々の話

文字の力はすごい。流通が可能であり、保存も効く。4000年以上前の人々の暮らしを文字を通じて知ることができる。本が普及したおかげで、現代ではいつでも誰でも(文字が読めれば)自由に物語を楽しむことができるし、古代の智慧に触れることも最新の科学のエッセンスを知ることもできる。

その一方で、商品をお金に交換したときのように、思考や発話を文字にすると変わってしまうものがあるのではないか。

自分の小説が試験問題として出題され「作者の意図を答えよ」と言われたけれど、作者本人なのに解けなかったという笑い話は結構ある。文字を通してひとつの「作品」となると作者の手を離れてしまい、本来意図していたように伝わらなくなることがある。

1対1で話しているときは、伝わっていないと思えばその場で掘り下げて伝えることができる。文字を介すと、流通し保存ができてしまうが故に、間違って伝わってしまったときに訂正できない。そのために、かつての宗教者たちは文字に残さなかったのだろうか。(そして、啓典としてまとめられた結果、創始者の思いとは裏腹に、解釈をめぐって別の宗派にわかれてしまったのだろうか。)(だとしたらせつない。)

なんとなく、文字にはもうちょっと秘密があるように感じている。今後もう少し掘り下げたいと思いつつ、改めて文字って偉大であり不思議だなあと、文字を使いながら考えている。