21日間ブログチャレンジ

腹八分目をめざす。

ひさしぶりに会った友人から「そういえばちひろちゃん、昨年少食やってたよね?」と言われた。そうだった。完全に忘れていたけど、そんなことをしていた。

きっかけは、Kindle Unlimitedで出会った本だった。(サブスクリプションのいいところは、普段なら購入しないような本も気まぐれに読み漁れるところだと思う。)

ルネサンス期の貴族だったルイジ・コルナロは、飽食の結果40代にして重い病を患う。極少食にするかこのまま死ぬか。医者のアドバイスによって厳しい食事制限をはじめると、病気はすっかり良くなり、その後も健康を保ち続けてなんと102歳まで生きた。その彼が自らの体験を綴った本だ。

無病法(ルイジ・コルナロ著)

極少食のおかげでどれほど身体も心も満たされているのか。本を読む限りでは、極少食は食事制限というよりはむしろとても楽しそうで、さっそく食べる量を減らしてみた。本当は腹六分目が理想だそうだが、とりあえず腹八分目からだ。

もともと朝食はとらず、あまり食にもこだわりがないため、食事を減らすことは(その時は)特につらくなかった。五分づき米のおかゆと、一汁一菜。一日二食。

食べる量を減らしてみると、今までおなかがすいていないのにもかかわらず、習慣でごはんを食べていたことに気がついた。なんとなく身体が軽い。もともと胃が弱いので、体質的にあっていたのだと思う。おなかがすいてくると、どこか遠くから優しく呼びかけられているような、なんだかあたたかい空腹感が満ちてくる。

あるとき、茶碗に二口ほど残して「あ、今ちょうど腹八分目だ」と感じた。身体の声を聞くことができるようになった気がして、うれしくなった。食べるというのはこういうことなのか、と思った。(残っていたおかゆは完食した。)

しかし、少食を続けるのは難しかった。いちばんは、外食だ。外で何かを食べようとすると、量が多すぎる。懇親会や打ち上げなど、食べものはコミュニケーションを円滑にする手段でもある。家にいても、カレーを作ったりすると「美味しいからもう一口だけ」と止まらないこともあった。そうして身体の声を無視しはじめると、どんどん食生活が戻っていって、そのうち身体の声も聞こえなくなり、そのまま少食のことはすっかり忘れていた。

今回、せっかく思い出したのでひさしぶりに食事を減らそうとしたのだが、なぜか減らせなくなっていた。多少量を減らしてみても、あの頃のようなのほほんとした空腹感ではなくて、追い立てられるような空腹感が消えない。その結果、もう一食分食べてしまって、腹八分目どころか腹十二分目まで詰め込んでしまうという悪循環。

ヒントを求めて、少食に関する本を読んでみると、「間食・別腹をしてしまうのは、心が満たされていないから」という言葉に出会った。

おなかがすいているというわけではないけれど、何かが足りていないと感じていて、それを食事で埋めようとしている。だから、こんなにも切羽詰まったような空腹感を感じるのだ、と納得がいった。今月予定を詰め込んでしまった皺寄せかもしれないし、コロナとともに蔓延する不安に取り憑かれているのかもしれない。

「(減らそうと思えば減らせるけど)食べる」のと「(食べないとつらいから)食べる」のは、たぶん、意味合いが異なる。もしかしたら、生活習慣病の影には社会的な不安があるのかもしれない、なんてことを思った。