21日間ブログチャレンジ

「戸」のつく地名と「へ」の謎。

以前、【戸】のつく地名は封印を意味している(と書かれている本を読んだ)という記事を書いた。

「戸」のつく地名と封印の謎。 Amazonを徘徊していたら、ある本の紹介文が目についた。 神戸や水戸など「戸」がついた地名は、虐殺されたアイヌの怨念を封印した...

そのときに、【戸】という文字は【一】の下に【尸(しかばね)】と書くから、まさに虐殺後に封印をしたという文字にも見えると教えてもらった。(【一】は【上/下】や【生/死】などに見られるように、位置に意味があるらしい。)

しかし、【戸】の成り立ちは扉をかたどった象形文字だとわかり、この話は「もしかしたら暗にそういう意味もこめられているのかもしれないね」というところで終わった。

しかし、今日「字源」を読んでいて、なんだか気になった。

字源には、【戶】が載っていて、「戸・户は俗字」と書かれている。つまり【戸】は新字体なのだ。

「【体】を【體】に戻す」ということ。 先日、山口県萩市へ「骨格美セラピー(以下骨格美)」を習いに行った。 しばらく前に「人の話を聞いて文章にまとめる」という謎の使命感...

そう思って改めて【戶】の字を見ると、たしかに扉の象形である。上と左の【ノ・ノ】はドア枠を表していて、【コ】の部分が扉になっている。

【戸】と【戶】は、形こそ似てはいるが、書き順も違う。【戸】は【一・コ・ノ】と書くし、【戶】は【ノ・ノ・コ】と書く。

新字体が採用された漢字の中には、【學】【櫻】など、画数の多い文字を簡略化した漢字が多い。また【豐】と【豊】のように、本来は別だったが統合してしまったものもある。

しかし【戸】と【戶】は画数も同じだし、そもそも【戸】という文字は存在していなかった。昭和21年時点の当用漢字表では【戶】が採用されていたが、その後調査・整理が行われ、【戸】が新字体として収録された。

もうひとつ気になったのは、「へ」という読み方が載っていないことだ。

「戸(へ)」というのは、何らかの呪術の実行を表す大和言葉だ。

日本列島祈りの旅2 クナト姫物語

【戸】の文字がつく地名には、水戸のように「と」と発音する地名もあるが、著者は神戸や八戸に見られる「へ」という読み方のほうが古いという。(根拠はわからない。)

調べてみると、「へ」と読む単語は存在しないようで、専ら地名に使われている。

人物名でもふたり見つかった。【他戸(おさべ)親王】と【豊野五十戸(いそべ)】だ。他戸親王は皇太子だったが、母親・井上内親王が天皇を呪ったと容疑をかけられたために、庶民として幽閉されその後急死した。(実は死んでおらず、国東に来たという伝説がある。)

豊野五十戸も同時期の人物で、【長屋王の変】で有名な長屋王の甥にあたり、やはり皇族から臣下に降っている。その際、豊野姓を名乗ると同時に【五十戸】と改名したのではないかとWikipediaには書かれていた。

そこで思った。【戶】は「コ・と」と読み、扉を表す文字。【戸】はもともと「へ」と読み、【尸】を【一】の下に置く形のとおり、封印を意味する文字だったのではないだろうか。

天外氏のいうように【戸】のつく土地で封印が行われたのか、実際のところはわからない。しかし、少なくとも8世紀後半に皇族から民となったふたりの名に【戸(へ)】が使われているのがひっかかる。

本来は別の文字だった【戸】と【戶】だが、【戸】はその意味するところから公には存在しておらず、やがて【戶】と統合して最終的に【戸】になったのではないだろうか。

前述の字源には、実は【户】という文字が載っている。【戶】の次の項で、「戶(前條)の譌字」とだけ書かれているのだ。しかし同じく【戶】の俗字である【戸】は載っていない。「戸・户は俗字」と、【戸】のほうが先に言及されているにもかかわらず。

吉野信子氏によると、カタカムナで「へ」は、縁や辺など、自らを内側としたときの外側を意味する音だという。

天外氏は、大和民族は封印によってアイヌの魂が転生できずに衰退するよう仕向けたのではないかと書いていた。「へ」。つまり、輪廻の輪の外側なのかもしれない。