満月アウトプット

人の数だけ世界がある。

人は、太陽と月だけではなく、他の天体の影響も日々受けている。

いつのまにか当然のことだとすっかり思い込んでいたけれど、ひさしぶりに「何言ってるの?だいじょうぶ?」という立ち位置の方と話す機会があって、とっても新鮮だった。

「真実はいつもひとつ!」なんてことは全然なくて、人はそれぞれが信じる世界を生きているのだと思う。ということは、目の前にいるようでいて、こちら側は個が全である世界、向こう側は個が個である世界が今重なり合っているんだなあと考えたりしていた。

絶対的な真実なんてないよなあ、と思う。

宗教や歴史の解釈の違いによる争いとか、こういってはあれだけれども、不毛だなあと思ってしまう。「そっちの解釈もおもしろいですね!信じてるのはこっちですけど!」的なノリで、みんな楽しくできたらいいのになあと思う。

かつてデカルトは「我思う、ゆえに我あり」といったけれど、最近いろいろな本を読んでると「たしかに思ってはいるけれど、ほんとにあるのかな…?」という気持ちになってくる。(むしろ「ないんじゃないかな」と思っているから、意識を體の外に置くという実験をしているのかもしれない。)

心に第3の猫をもつ。 本を読んでいたら、意識を統合するために「3m後方に飛んでいる鳥を常にイメージする」というワークを目にした。 起きたことは...

たとえば、「1+1=2」は絶対的な真実かというと、今となってはあやしい。ふたつの穴を用意してひとつの量子を飛ばすと、両方の穴を同時に通るという実験がある。だとすると「1=2」であるといえるし、ということは「1+1=3」も成立する。

3次元の物理世界においては、(今のところ)「1+1=2」は真実であるけれども、物理世界はそもそも量子世界の上に成り立っているわけで、いってみればすべてがただの幻想だ。

今目の前にあるパソコンは、目で見ても手で触っても、固くて安定感のある物質だ。しかし、量子レベルでは実際のところ隙間だらけで、安定どころか常に振動している。人の意識は、量子レベルの揺れを認識できない。パソコンは現実に固いのではなく、人の意識が固いと認識しているだけなのだ。

あなたはいったい誰なのか。 「目に見えるものは、知覚が生み出した迷信である」という話を、オーディオブックで聞いている。(あまりに面白かったので、途中までしか進んで...

しかし、「1+1は2でしかありえないし、パソコンは絶対に固体である」という世界に生きることは可能である。実験室で何が証明されようと、人は物理レベルまでしか知覚できない。それならば、物理世界もひとつの真実だと思うのだ。

世界は、エッシャーの「相対性」のようになっているのではないかとよく考える。人々は関わり合いながらも、個々の世界の上に生きている。他の惑星とのつながりがある世界もない世界も、新型コロナウィルスに怯える世界も過剰対応だと憤る世界も、きっとどちらも本当だ。

「人生はつらい」とか「人生はたのしい」とか、「お金を稼ぐのは大変」とか「お金を稼ぐのはたのしい」とか、みんながそれぞれの世界を生きていて、人と人の関わりの中でそれらの世界がそっと重なり合う。だとしたら、違いというのはなんてやさしいんだろう。