66日間ブログを更新することで習慣化しようというチャレンジをしていたのだけれど、37日目にして「出し切った!」という満足感があり、記録の上では連続更新はストップした。

けれど、「続けられなかった」という後ろ向きな気持ちではなく、「必要なことが整ったから終わらせた」という感覚がある。
今まで毎日ブログを書くのに2時間弱かかっていたのだけれど、書く時間が空いた分、本を読む量が増えた。(おかげで今月の本代は完全に予算オーバーだ。)そして、ただ読むだけではなく、日常を変化させるという実験も同時に試している。
ここまで、日々ブログを書くことによって心を整理整頓してきた。庭の雑草を徹底的にむしって、お気に入りのものやこれからも育てていきたい草花だけを残したような清々しい気持ちだ。

その結果、余裕のできたスペースに、今どんどん種をまいている。正直何が生えてくるのかわからない。芽の出ない種もあるだろうし、思っていたのと違う花が咲くこともきっとある。けれど、この種が育って花が咲くと、今の風景に変化が生まれる。そのときにまたブログを書くことで、不調和を感じたところを整理し、新たな調和を作り出すことができるのだと思う。
インプットをすると止まらないほうなので、今回は満月を区切りとしてアウトプットをしてみるというルールを設けることにした。
かつて、月が人に影響を与える(満月の日は犯罪が増えるとか)と聞いたときは、それは偶然だろうと信じなかったことを思い出す。月は遠くにあって、地球の表面で暮らす人とは直接関わりのない存在なのだと思っていた。
しかし、潮の満ち引きは主に月の引力の影響で起こる。特に、新月と満月のタイミングで満ち引きの幅が最大になる。
地球の表面積の7割は水だというが、人の7割も水でできている。(年齢によって5〜9割と差があるそうです。)だとしたら、むしろなぜ影響がないと思えるのか。東洋哲学では、人は自然の一部であるととらえ、人と自然には同じルール(陰陽と五行)がはたらいていると考える。
「物理的に干渉し得ないから、影響はない」というのはきっと小さい頃の思い込みだ。今は、携帯電話をはじめ、リモコンやBluetoothなど、無線でつながっているものがたくさんある。そう思うと、今の子どもたちは、見えない世界のことを受け入れる土壌がより豊かなのかもしれない。(と相当脱線したところで終わる。)