4年前、アメリカ・カリフォルニア州のマウントシャスタに1か月滞在する機会があった。それまでシャスタの名前も知らなかったのに、とんとん拍子に話が決まり、なんだか半分夢のような不思議な時間を過ごした。(当時のことは、未だ消化しきれていない。)

ある日、パワースポットのひとつである(らしい)ハートレイクと呼ばれる湖に連れて行ってもらった。かたちがハート型であることから、名前がついたのだそうだ。天気も良く、眺めは素晴らしかった。

しかし、なぜかハートレイクよりも、名もない小さな湖のほうが気になった。

湖のほとりの岩に腰をかけ、おだやかな時間を過ごした。鳥の声が聞こえる。やわらかい風が吹いて、湖面を揺らす。そんなときに、ふとイメージが浮かんで、「ああ、世界ってこうなっているんだな」と納得した。
それが、こんなイメージである。

本当の世界は山で立体なのだけれども、人は山が映り込んだ湖の表面を見て、それが世界だと思っている。するとどんなことが起こるか。
- 山を見る角度によって、山のかたちが変わる
- 季節が変わると、山の色が変わる
- 昼と夜とで、山の見え方が変わる
- 風が吹いたり雨が降ったりすると、湖面が揺らいで山が見えなくなる
シャスタ山には、シャスタとシャスティーナ、ふたつの峰があるが、見る角度によっては重なってひとつに見える。ある人は「峰はふたつだ」といい、またある人は「峰はひとつだ」という。2次元の世界では成り立たないが、3次元で見たらなんてことはない、どちらも正解だ。
普段は、山の姿がなかなかクリアに見えない。だから、ある人が「山は緑だった」といえばそうなのかと思い、またある人が「山は雪景色だった」といえばそうなのかと思ってしまう。どちらも正しいが、どちらも本質ではないともいえる。人は、たったひとつのわかりやすい答えを求めがちだ。しかし、「そんなものはない」が答えなのかもしれない。
日が沈んで、山の輪郭が闇に融ける。大雨で湖面が激しく波立つ。あるはずの世界の姿がまったく見えなくなると、人は不安になる。けれど、本当はいつでもそこにあるし、その姿は揺らがず、変わることはない。
ある人は「生きることは苦しいことだ」といい、ある人は「生きることは楽しいことだ」という。きっとどちらも本当なのだ。