66日間ブログチャレンジ

書を持って箱を出よう。

D・カーネギー著「人を動かす」は古典的名著とされているが、初見では「理想ではあるのだろうけれど、現実的ではないなあ」とあまり共感できずにいた。

カーネギー氏は、人を動かす3原則として

  1. 盗人にも五分の理を認める
  2. 重要感を持たせる
  3. 人の立場に身を置く

を挙げる。特に1番目の話はおもしろくて、マフィアのボスも冷酷な殺人鬼でさえも自分の行いは正当であると信じていて、法によって裁かれることを不当に感じるという。

フィクションの世界にはときどき、悪を為すために悪を為しているようなキャラクターも出てくる(たとえば、なぜばいきんまんはアンパンマンをやっつけようとするのか。)(もしかすると、ばいきんまんが細菌であることを考えると、アンパンマンを腐敗させて土に還すのが彼の役割なのかもしれない…)。しかし、基本的にはみんなそれなりに理由があってしたことが、周りからは悪だと判断される。

皇帝パルパティーンは、作中で具体的には描かれていないけれども、それでも「シスの復讐」というからには、長きにわたってジェダイに虐げられてきたと本人は思っているんだろうし、セフィロスも(盛大に誤解してはいたけれども)自身と母を被害者だと思って復讐に走る。サノスに至っては「宇宙の平和のためには人口を減らさなければいけない」という明確な使命感を持って虐殺を行う。

1番目の話は、最後に「(人を動かすためには)批判も非難もしない。苦情も言わない」とまとめられている。歴代のヒーローたちはみな「おまえは間違っている」と正面から敵を否定したうえで、倒してきた。もしかしたら、相手の立場を尊重しさえすればみんな戦わなくても良かったのかもしれない。(物語として成立しないけれど。)

本を読みながら「批判も非難もしないとか、聖人君子か」と思っていたのだけれど、たしかに批判や非難は、人だけでなく状況も動かさないのではないかと感じるようになってきた。否定はきっと、お互いを箱に閉じ込めてしまう。

自分の小さな「箱」から脱出する方法」は、今まで読んできた本の中で、いちばん具体的に影響を受けた一冊だ。人は、自分に対する小さな期待を裏切るとき、それを正当化するために心を閉ざして他者を攻撃するのだという。この本ではその状態を「箱」に入っていると表現する。

たとえば、ドラッグストアで店員さんに「なぜマスクが売っていないのか」と詰め寄っている客がいたとして、周りから見たら完全にその人は「悪い」(もしくは厄介)と判断されると思うのだけれど、その状況でも本人はいたって自分が被害を被っている側であると信じている。

たぶん、本人も冷静な状態であれば、そんなに怒りをあらわにする必要がない(むしろ無駄)ことはわかるだろう。けれど、その人は何かしらの罪悪感を抱えていて、だからこそ自分を正当化する必要があり、その結果他者を理不尽なまでに責めるという行動に出るのだという。

もしかしたら、ずっと「そろそろ花粉の時期だからマスクを買わないと」と思いつつ先送りにしてしまった結果まったく買えなくなったのかもしれないし、布マスクの作り方は知っているけれども裁縫が苦手で手作りはしたくないと思っているのかもしれない。何にせよ、自分に対して「こうしたらいいじゃん」と思っている方法をとらない(とらなかった)ことが罪悪感を生む。そして、罪悪感から逃れるために自己正当化を行う。

恐ろしいのは、そうして自らが箱に入った状態で人に接すると、相手も箱に入ってしまうことだ。店員と客なら一期一会かもしれないが、たとえばチームでプロジェクトを遂行しなければいけない状況だったらどうだろう。AさんとBさんが箱に入っているとき、それぞれが「自分のほうが正しくて優れている」と証明するため、やがて互いの足を引っ張るようになる。

大事な発表の場面で相手が失敗することを願ったり、ただ願うだけならまだしも、大事な連絡をわざと怠ったりするようになると、プロジェクトに支障が出る。本来、AさんもBさんも同じ目的に向かっていたはずだ。プロジェクトの成功である。それが、箱に入ってしまうと視野が狭くなり、大局すら見失ってしまう。

ああそうか、カーネギー氏は「箱に入らないように気をつけようね」ということを本の中で繰り返し言っていたのだなと思った。ただ表現の方法が合わなくて、理解にいたらなかったのだきっと。名著と呼ばれる本はやっぱり名著なのだなと思ったのでした。