66日間ブログチャレンジ

全部出し切ったら、勝手に入ってくる。

昨日で、ブログの連続更新記録が36日になった。いつの間にか1ヶ月を越えていたこと、そしてそれに無頓着だったことに気づいて驚く。(せっかく気づいたので自分を褒めます。おめでとう!)本当は、今日は37日目になるはずだった。

不思議なことに、ここまで毎日「今日は何を書こうか」という部分についてはあまり悩むことなく来た。その日読んだ本やSNSで目にした言葉をきっかけに考えたことを、言葉というフィルターにかけながら整理していく。整理に時間がかかることはあっても、「何を」という部分には時間をかけずにすんでいたことにはじめて気づいた。なぜならば、今日は面白いほどに何も浮かばないからだ。

書きたいことがまったくないというわけでもない。「あれ書きたいなー」と思いながら寝かせているものもある。けれどそれは、テトリスで端1列だけを空けたままブロックを積んでいき、長い棒ブロックが来るのを待っているような感覚に近い。今のままでもある程度まとまっているけれど、もうちょっと待ったらもっといい感じになるような気がして待っている。

もしかしたら、時間をかけて内側に溜め込んできたものは、だいぶ出し切ってしまったのかもしれない。だとすると、明日も明後日も何を書くか困ることになる。

そうなると、自らの意識は変わらざるを得ない。日常のささやかなことも観察するだろうし、次に読む本はきっとこれまでにないほど意識的に読む。それは娯楽ではなくて、明確なインプットを求める読書になるはずだ。

と、ここまで書いて思い出したのだけれど、そういえば昨日突然「人の話を聞いて文章にまとめる」という謎の使命感が降りてきて、それをSNSに投稿したのだった。

「なんだかわからないけれどこれをやらなくては」と思ったのだけれど、具体的にどんなことをするのかよくわからない。どんな人の話を聞くのか、それを文章にまとめたところでどういうかたちで発表するというのか。

よくわからないことは面倒だ。なので「やりたくないです」と3回くらい応えたのだけれど、どうしても「人の話を聞く」というイメージが抜けない。喉に刺さった小骨のようにちくちくと心を刺してくる。

仕方がないので、「こうこうこういうことをしたいと思っているんですけど、まだよくわかってないので、もし興味のある人がいれば連絡ください」とまとめてFacebookに投稿した。何せ本人がわかっていないのだから、読んだ人もきっとわからないだろうと思い、1ヶ月後くらいに誰かから反応があったらいいなくらいの気持ちでいた。

それがあれよあれよという間に連絡をいただいてしまい、まずは3人くらい話を伺って様子を見ようと思っていたところが、その日のうちに7名の方が手をあげてくれた。(ありがとうございます!)

ブログに書くことがなくなってきたタイミングで、人の話を聞いて何かを書くという機会がめぐってくる。不思議なものだなあと思う。

呼吸法では、吸うことを意識するのではなく、吐き切るほうに意識を向けるという。身体中の空気を吐き切ったら、勝手に空気が入ってくるのだ。何かを手に入れようともがくのではなく、全部出し切ったときに自然と、本当に必要なものが入ってくるのかもしれない。