満月アウトプット

草むしりをしていたら、人もあるがままの状態がいちばん強いんじゃないかと思った。

種や苗をいただいて、ひさしぶりに雑草生え放題だった畑に足を踏み入れた。

仕事でぴりぴりしているときも、庭や畑で草をむしったり土をいじったりしていると、心がおだやかになることに気がついて、最近は毎日庭に出ている。(雑草は敵ではなく、土に還すことで豊かになると知ってからは、草むしりもたのしくなった。)

今日は、「種を何世代も自家採取していると、より原種に近くなっていく」という話を思い出していた。人がどんなに「もっと甘くなれ」「もっとやわらかくなれ」と年月をかけて工夫しても、植物は自らが本来あるべき姿へと戻ろうとするのだ。生命だなあ、と思う。

その一方で、世代をかけて本来あるべき姿からより一層遠ざかっているように見えるヒトは、逆にすごいんじゃないかな?と思ったりもする。もしかして、生命じゃないのかな???と考える。

「ハーブは強い」とよく言う。一昨年もらったレモングラスは、一度鉢の中で枯らしてしまったかと思いきや、土に植え替えたらまた育ち始めた。

今年分けてもらったカモミールは、庭で次々と花開き、甘い香りを漂わせている。同じく分けてもらったミントは、半分は庭、半分は窓際に置いたコップの中ですくすくと育ち、その緑は目に眩しいほどに鮮やかだ。

ハーブは、香りにも効果があるし、煮出したりアルコールにつけたり、さまざまな方法で使うことができる。それって生命力なんじゃないかな、とふと思った。

タロットにおいて、カップのカードは感情を意味する。カップに水がなみなみとあふれているときは、心が満たされており、カップからあふれ出した水で周りの人を満たすこともできるようになる。けれど、自らのカップが干からびているときは、他の人のカップを心配している場合ではない。ハーブは生命力に満ち満ちているから、どこでも育つし、周りを癒すことができる。

どこでも育つってすごい。

実は、カモミールとミントは玄関の近くの、便利だけれど何の草も生えてこない謎のスペースに植えたのだ。そこには薔薇が1本と、周囲にタイムが群生していて、その間が緩衝地帯のようになぜか空いていた。地道に抜いた草を置いて土を育てようとしたつもりだけれど、たぶんまだ十分育ってはいない。けれど、カモミールもミントも、しっかり根付いてくれた。

「より鮮やかな花」とか「より大きな実」とか、それはすごいことだけれど、「どこでも育つ生命力」ってやっぱり強い。そして、その生命力はおそらく、原種に近ければ近いほど強いのだ。

本来の姿に近づくことで、より強くなる。強ければ強いほど、いろんなかたちで周りの役に立つことができる。それはきっと、植物に限ったことではない。

最近見た「サティシュの学校」で、サティシュ・クマール氏はこんな話をしていた。

「今の教育は、人を器だと思って何かを詰め込もうとしている。けれど、人は種であり、【教育(education)】の元になったラテン語は能力を引き出すという意味なんだ。周りにできることは土や水や光を与えることであって、りんごは梨にはならない」