21日間ブログチャレンジ

世界は向こう側から押してくる。

1年ぶりに極少食(断食ではなく、日常的に食事の量を減らすこと)にチャレンジするもあえなく挫折してから約1週間。

足りないものなんて何もない。 昨日「食事の量を減らそうとしても空腹感がひどくて減らせないのは、心が満たされていないから」という主旨の記事を書いた。 https...

なんと、春分の朝から、思いもかけず美味しい玄米とお漬物、お味噌汁の朝食をご馳走になった。丁寧で美味しい食事は、何よりも心を充たすのだということを思い出した。

いただいた玄米があまりに美味しかったので、自宅にあった玄米を精米せず炊いてみた。時間をかけて(炊飯器が)炊いた玄米は、香り高くふっくらしていた。もともと胃があまり良くないので、玄米は体質に合っていないんじゃないかと思う一方で、だからこそゆっくり噛むという行為に意識が向いていることにも気づく。

この世界には、作用・反作用の法則がはたらいている。AさんとBさんが向かい合って、手押し相撲をしているとする。AさんとBさんの力が釣り合っているとき、お互いに同じ力で押し合っている。同じように、Aさんが壁を押しているとき、壁が倒れることなくバランスが取れているならば、壁もまたAさんを同じだけの力で押し返している。

この世界に「◯◯しなければいけない」という意識が生まれるとき、「◯◯しなければいけない」と思えば思うほど、同時に反対の意識が生まれるのではないか。「しなければいけない」の反対は「◯◯してはいけない」だ。たとえば、「食事の量を減らさなければいけない」という意識があると、「食事の量を減らしてはいけない」という意識が同時に育つ。

これを根本から刈り取るためには、行動するしかない。作用・反作用の法則がはたらくのは、あくまでもバランスがとれているときだ。壁を押す力が強すぎて壁が崩れてしまえば、壁はもう押し返すことができない。つまり、実際に行動に移してしまえば、バランスを崩すことができる。

とはいえ、「しなければいけない」とか「するべき」とか「したほうがいい」とか、何かを制限したり強制したりする意識はそもそも思考から生まれている。だから、行動に至る前に反対の意識がすくすくと育ちやすい。

そこで、「したい」だ。

「したい」という意識は、なんかもう理屈とかルールとか、そういうものを全部飛び越えてぽんと生まれ出てしまう。考えるまでもなく、即行動に移ることができる。

その代わり、何か規模の大きなことをしようとするときや変化を起こそうとするときは、つい躊躇して考え始めてしまう。すると、「したい」という思いの大きさに比例して、「したくない」=「怖い」という意識を育ててしまうのではないか。

「清々しい朝食をいただいたから、毎日こういう食事を摂りたい」という意識が生まれたことで、(時にはジャンクフードも満腹も楽しみつつ)少食生活に無理なく戻れるんじゃないか。そんな気配を感じる、良い節目の日でした。