66日間ブログチャレンジ

考える歯車。

「好きに使っていい1年間」と「100万円」、どちらかひとつだけ手に入れられるとしたらどちらを選びますか。

そう問われた知人が、躊躇なく「そもそも自分の好きなように過ごせないなんて奴隷と同じだからその1年間には意味がない、100万円がほしい」と答えた、という話を人伝に聞いたことがある。もう随分前のことだ。

すごいなあと思いつつ、「そうはいっても、1年後の居場所が確保されている1年間は貴重だよねえ」と話した記憶がある。今考えてもやはり、充分100万円に相当する魅力的な提案だ。

余談だが、当時は大学院に通っていて、最長2年まで無料で休学できる制度があった。その話を聞いたあと、ふと「もしかしたら今、200万円をもらえるチャンスなのではないか」と謎の計算をしてしまい、せっかくだから休学を使って何かをしようかと思っていたところで国東半島に出会うという瓢箪から駒的展開で、今に至る。それがなければ、もしかしたら新潟できちんと働いていたかもしれない。(そして、それはそれで楽しかったのではないかと思う。)

最近、Twitterでニュースを追っているのだけれど、コロナウィルスの感染者数が増えるにつれて「生命がかかっているのだから、休校を延長してほしい」「通勤が怖いけれど、非常事態宣言を出してくれないと会社を休めない」というような悲痛なつぶやき(というか叫び)が増えてきた。

でも、それってなんだかおかしくないだろうか。

外に出たら、ウィルスに感染して死ぬかもしれないから、できることなら出たくない。けれど、外に出なければ経済的に死ぬ。(ここでは政府による補填については考えません。)

今の社会では、経済活動によってお金が血のように国内外をめぐっている。血流が止まれば、その部分は壊死する。だから止められない。それはわかる。けれど、その仕組みに強烈な違和感を覚える。

ひとりひとりが細胞のように役割をこなし、血液がめぐり、巨大な何かを生かしている。「社会の歯車」というのは、その一部になることを揶揄した言葉だけれど、それは社会において役割を担うことでもあると思っていた。けれど、個々の生命を賭してなお、その巨体を守らなければいけないのだろうか。そもそも、その何かは本当に生きているんだろうか。

アナスタシアは言う。

技術優先の世界の環境では、今とはちがう人間の暮らし方をイメージするのはとても難しい。闇の勢力は、人間にはじめから与えられていたこの世界の自然の仕組みを、自分たちの、やっかいで、人間の性質とは矛盾する人工システムにおきかえようと、たえまなく動いている。

アナスタシア(ウラジーミル・メグレ著)

そして、「闇の勢力」は人々がプライドに固執するように仕向け、その道具としてお金を発明し、人々に人としての本来の目的を忘れさせていると説く。

(アナスタシアについてご存じない方はこちらもどうぞ。)

シャスタから種田に戻ってきたら、世界が変わっていた。 カリフォルニア北部にそびえ立つシャスタ山の麓、マウントシャスタシティに滞在すること1か月。 何度かブログを更新しようと思ったもの...

生まれてこの方今の社会の中で生きてきたから、そうでないかたちの社会はたしかにイメージができない。けれど「おかしい」「助けて」という声を見るたびに、先述の「奴隷」という単語を思い出す。

草木も虫も、寒くなると、誰に言われずともそれぞれに動きを止めて春を待つ。「止まったら死ぬ」と言われるマグロですら、夜間はスピードを落として休息をとる。常に動いていなければ崩壊してしまうシステムは、どこか不自然なのではないだろうか。

もしかしたら、既存の役割を手放すということは、巨大な何かの一部として癌化するということなのかもしれない。そうして「今のかたちを変えたい」と動き出したひとりひとりがつながり、拡がって、やがて巨大な何かは機能不全に陥る。

と、ここまで考えて、それじゃあ巨大なものの死とともに細胞も全滅するじゃないか…という絶望的な結論に至りました。(でも、それはたぶん、何かを見逃しているんだと思うので、もう一度アナスタシアを読み返すことにする。)