移住

旧暦を意識する。

あまり壁掛けカレンダーは使わないほうなのだが、今年は一目惚れのカレンダーを買ってしまった。国東市安岐町に住むイラストレーター、北原慎二さん(天花風天工房)のカレンダーだ。
(参考サイト:ふるさとチョイス>大分県国東市>A268 風天百笑カレンダーとポストカード10枚

二十四節気に月の満ち欠け、一粒万倍日。
そして旧暦の日付が、手書きのやわらかい文字で書き込まれている。


新月から一月が始まる。

「旧暦では、新月を一日(ついたち)としていた」。
知識としてはなんとか知ってはいたものの、これまで意識したことがなかった。
しかし、今日カレンダーを眺めていてはっとした。
今日は新月で、つまり2月の始まりなのだ。

「31日(もしくは30日)経ったから自動的に翌月になります」というのが新暦だけれど、空間的に新しい月が始まることと、時間的に新しい月が始まることとが一致している旧暦は、自分が自然の流れの一部であることを感覚として受け入れやすくしてくれる。

ただし、一月の長さはまちまちだし、閏月という形で調整する必要がある。その点、新暦は合理的だ。
7月が31日あってなぜ8月も31日あるのか、「すべての奇数月が31日で、偶数月が30日」ではだめだったのか…と、不思議に思うことがないわけではないが、4年にたった1日の調整でほぼ事足りるのはすごいことだ。
10年前も30年前も、100年後も、1月は必ず31日まであるのだから。


「月日」という言葉の意味。

今、この文章を書きながら気がついた。
「一月」は、月が新しく生まれ、満ち、そして欠けていくまでのサイクルのこと。
そして、「一日」とは太陽が東から生まれ、西に沈んでいくサイクルのことなのだ。

気軽に「月日」と口にしているけれども、本来それが意味するのは規則正しく天体が巡りゆくという自然の摂理なのではないだろうか。太陽があり、月があり、大地=地球がある。太陽が巡るのが日、月が巡るのが月、そして地球が巡るのが年だ。
なんということか、カレンダーの中に宇宙を見てしまった。

合理性を否定する気はないけれども、それぞれの文化に根ざした暦というのは、とても大切な、その文化を構築する基盤のひとつなのではないか。旧暦には「農暦」という呼び方もあって、農作業の指針として使っている農家さんがいると聞いた。

私の生活に旧暦は全く必要はないけれども、カレンダーを眺めながら宇宙に思いを馳せるという楽しみがひとつ生まれた。